2013年4月2日火曜日

Hinkel & Stein

ボードゲームの魅力のひとつは、ゲームの内容物を実際に手で触れられることだろう。コマをつまんで動かす、カードを揃えて出す、そしてもちろんダイスを振る身体的感覚は、他では味わえない快楽と言える。作り手もこのことは当然承知していて、身体的快楽を前面に押し出したゲームが、ときおり出る。

Zoch Verlagの創始者Klaus Zochは、ボードゲームの身体性を十全に使いこなすデザイナーのひとりだろう。視覚的・触覚的快楽の融合の極致と言えるバウザック、聴覚をゲームに取り入れたザップゼラップやイグルーポップ等、ものに触れること、それ自体が楽しいことに気づかせてくれる。




そのZochが2007年(たぶん)に創立したスモールパブリッシャーがChili Spieleだ。なぜZoch Verlagがあるのに別会社をつくったのか? 生産が困難なことや、予測される利益が薄すぎることなどから、大手パブリッシャーが作りたがらないゲームを世に出すために、と説明されている。このためコスト削減策として小売を通さず、ウェブサイトを通じた直販でのみ販売を行っている。



現在までに彼らが出してきたゲームは6つある。どれも創立理念に沿った、コンポーネントに凝ったゲームだ。この「凝った」の意味は当然、FFG的方向とは正反対の、触れる快楽を見据えた質実な木製の凝り方である。私はFFGのゲームが大好きだ、念のため。

2番目の作品であるDie Aufsteigerは、The Climbersと改題されてアメリカでも出され、そこから日本にも入ってきたので、プレイされた方もいるだろう。ルール的には特筆することはない積み木レースなのだが、しかし積み木の楽しさを十分に生かした佳作だった。




前置きが長かったが、今回紹介するゲームはここの5作目にあたる2010年発売のHinkel & Stein。作者は当然Klaus Zochである。



この作品は一言で説明可能だし、もっと簡単なのはコンポーネント写真を見てもらうことだ。そう、シーソーだ。シーソーに石を乗っけるゲームである。



4人のプレイヤーたちは各々5個1セットの石を持つ。セットごとに石の種類が異なり、色や形も様々だ。他のコンポーネントはシーソーと、勝利点となるチップだ。このチップがまた木製のおおぶりなディスクで、なんとも良いのである。

ゲームは1ディール(ということばを使おう)が5ラウンドで構成される。プレイヤーは毎ラウンドに手持ちの石を1つ使うので、手石は使いきりだ。ラウンド開始時、まずストックからプール(ポーカーで言うポット)にチップが2枚追加される。次に親が今ラウンドの勝利条件を選択する。「重いほうが勝ち」か「軽いほうが勝ち」かだ。そうしたら親はスタートプレイヤーを指定する(自分でも良い)。指定されたプレイヤーは、「行く」と決めたらプールにストックからチップを2枚追加する。もしくは「降りる」と決めたらストックからチップを1枚もらう。どちらの場合でも、自分の石を1つ、シーソーに乗せなければならない。石を乗せるマスは各端に2ヶ所、計4ヶ所ある。

スタートプレイヤーが行くか降りるかして石を置いたら、親は次の手番プレイヤーを指定する(もちろん自分でも良い)。こうして全員が行くか降りるかし、石を乗せ終わったら勝敗判定となる。ラウンド開始時に決定された勝利条件に従って勝者2人が決まり、プールのチップを山分けする。ただし勝者のうち1人が降りていたら、もう1人がプールを独占することになる。どちらも降りていたら、そのプールは次ラウンドまで持ちこしだ。



さて、これだけだとさすがに単純にもほどがあるので、各石セットには特殊能力が加わっている。基本はディールにつき1回だけ発動でき、シーソーの支点をずらしたり、小石を追加で置けたりする。強力なのがプールに2枚ではなく4枚追加できる能力を持つクォーツ石で、親はこのプレイヤーと協力して山分けを狙うのが基本戦術となる。

こうして5ラウンドが終了したら、各プレイヤーは自分の石セットをすべて左隣プレイヤーへとまわす。そうして4ディール、つまり全員が全石種をプレイしたらゲーム終了で、最もチップ数の多いプレイヤーの勝利となる。



将来の重勝ち戦のためにこれは温存しておいて……などと吝嗇心を出して討ち死にしたり、協力するふりをしながら裏切ったり、意外とドラマが起こる。だがそんなドラマも言ってみれば実に他愛無いものなので、ストレスなく楽しくプレイできる。しかしなんといってもこのゲームの魅力はシーソーであり、中心メカニクスが他のものだったなら誰も見向きもしなかったろう。身体的快楽を熟知したデザイナーによって、石の手触りもシーソーの材質も吟味された結果、乗せた瞬間にカクッと傾きを変えることを望みつつ石を置く感覚は、見事な身体的快楽に、そしてまた観る快楽にも昇華している。

言ってみれば「変なコンポーネント」のゲームの1つに過ぎない。そして私は「変なコンポーネント」大好き人種なので、いろいろと理屈をこねくり回して実態以上の価値を見出そうとしているだけなのかも知れない。だが「変であること」の喜びはなにかと言えば、多くは身体的快楽に着地するのではなかろうか。そして身体的快楽の導入には、ただ「変」であれば良いわけではないのは当然だ。この点で、できの良いイロモノは、実はすこぶるまっとうなものであるとも言える。

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